2026年2月27日金曜日

みんな健康になって長生きをして、日本の社会保障費が足りなくなりましたとさ

むかしむかし、というほど昔ではない未来の話。

みんなが健康になった。
医療は進歩し、生活習慣も改善され、
平均寿命はさらに伸びた。

病気は減り、寝たきりも減り、
元気なお年寄りが街を歩く。

それは、誰もが願っていた光景のはずだった。

けれど、ある日ニュースがこう伝える。
「社会保障費が足りません」と。

長生きは喜ばしいことなのに、
いつのまにか「負担」という言葉と並べて語られる。

健康で長く生きることが、
問題のように扱われる違和感。

私たちは何を目指していたのだろう。
病気を減らし、寿命を延ばすことではなかったのか。

もちろん、現実の制度は数字で動いている。
支える人が減り、支えられる人が増えれば、
計算は厳しくなる。

でも本当の問題は、
「長生き」そのものではないのかもしれない。

元気な高齢者が、
ただ支えられる側に固定されている仕組み。
年齢で線を引いてしまう社会。

もし、健康で長生きする人たちが、
学び、働き、教え、支え合う側にも回れるとしたら。

「負担」という言葉は、
少し意味を変えるのではないだろうか。

健康寿命が延びるということは、
単に医療費が減る話ではなく、
生き方の設計を変える話なのだと思う。>

長生きはゴールではない。
時間が増えるということだ。

その時間を、
社会がどう活かすのか。
個人がどう使うのか。

みんな健康になって長生きをした。
それなのに困った、では少し寂しい。

本当は、
「長生きしてよかった」と言える物語にしたい。

社会保障費が足りなくなりましたとさ、
で終わる未来ではなく、
新しい支え合いが生まれましたとさ、
で終わる未来へ。

そんな続きを、
私たちはまだ書いている途中なのかもしれない。

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