むかしむかし、というほど昔ではない未来の話。
みんなが健康になった。
医療は進歩し、生活習慣も改善され、
平均寿命はさらに伸びた。
病気は減り、寝たきりも減り、
元気なお年寄りが街を歩く。
それは、誰もが願っていた光景のはずだった。
けれど、ある日ニュースがこう伝える。
「社会保障費が足りません」と。
長生きは喜ばしいことなのに、
いつのまにか「負担」という言葉と並べて語られる。
健康で長く生きることが、
問題のように扱われる違和感。
私たちは何を目指していたのだろう。
病気を減らし、寿命を延ばすことではなかったのか。
もちろん、現実の制度は数字で動いている。
支える人が減り、支えられる人が増えれば、
計算は厳しくなる。
でも本当の問題は、
「長生き」そのものではないのかもしれない。
元気な高齢者が、
ただ支えられる側に固定されている仕組み。
年齢で線を引いてしまう社会。
もし、健康で長生きする人たちが、
学び、働き、教え、支え合う側にも回れるとしたら。
「負担」という言葉は、
少し意味を変えるのではないだろうか。
健康寿命が延びるということは、
単に医療費が減る話ではなく、
生き方の設計を変える話なのだと思う。>
長生きはゴールではない。
時間が増えるということだ。
その時間を、
社会がどう活かすのか。
個人がどう使うのか。
みんな健康になって長生きをした。
それなのに困った、では少し寂しい。
本当は、
「長生きしてよかった」と言える物語にしたい。
社会保障費が足りなくなりましたとさ、
で終わる未来ではなく、
新しい支え合いが生まれましたとさ、
で終わる未来へ。
そんな続きを、
私たちはまだ書いている途中なのかもしれない。
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